822 名前: 投稿日:02/03/18 22:18
うちの親父は不器用で、頑固で、間違ったことでも絶対間違っているなんて言わなかった。
そんな親父が、俺が中一のとき母がサラ金から金借りて、家を追い出された次の朝に
初めて朝飯作ってくれて、ワカメの入った卵焼きと、ちぎった海苔の入った味噌汁、たくあんの入った納豆、
それからなんだかよくわからない小麦粉の焼いたやつを、朝早くから作ってからみんな起きる前に仕事に出て行って、
テーブルのメモに「お母さんはしばらく帰らないから、まずいかもしれないが父さんの作った
めしで勘弁してくれ」って書いてあって、まさか親父が俺たち子供にそんな言葉かけるとは
全く思っていなかったから、驚いて妹と二人で朝飯食ったのを覚えている。
だけど、飯食い終わって学校に出ようとしたら一本の電話が鳴って、それが病院からの電話で
いきなり「お父さんは亡くなられました」って電話来て、何がなんだか分からず
妹と病院行ったら、血まみれで形も定かでない親父が横たわってて、医者に「出勤途中に車にはねられたんだ」
って言われた日の事は、今でもホント忘れられない。
今思い出しても涙出てきて、一生このことは忘れられない。

433 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/03/18 22:38 ID:YrsgBeLl
私は二十歳の時出来ちゃった婚で結婚、出産。周りの反対の中じいちゃん
だけはかばってくれました。小さい時からじいちゃん大好きで、母に叱られる
度、泣きながらじいちゃんの布団に潜り込んでたっけなー。
子供が産まれたときも暑い中、自転車で片道40分もかかるのに一人で病院来て
赤ちゃんを見に来てくれたり。。
私の結婚生活は苦しいもので、旦那の暴力、浮気など積み重なって、子供が3ヶ月の
時、「旦那が仕事で県外に行くことになったので帰ってくるまで実家にいさせて。」
と嘘をついて実家に子供を連れて帰りました。反対を押し切って結婚したため、
意地になってしまって家族にも本当の事が言えないままでした。
でもじいちゃんは何か感づいてたらしくて、
「おまえは何か、この家に戻ってきそうだなー。」なんて言ってきて、
私が意地になって、
「そんなんあるわけない。」なんて言って背を向けると、
「じいちゃん死ぬまではこの子(私の娘)面倒みたるよ。おまえは仕事でも
行って、この子に不自由させないようにがんばり。最後に頼れるのはやっぱり
家族しかおらんやろーが、ばか娘が。」
80すぎたじいちゃんが、私が意地張って隠してたことなんてお見通しで、
なんだか力が抜けて泣いてしまいました。それから離婚を決意。
そんなじいちゃんが倒れたのが、娘が8ヶ月の時。末期の胃ガンでした。
暇を見つけては娘を連れてお見舞いにいきました。でも最後の方はガリガリに
痩せて見ているのが辛くて、私は病室に1分もいれない状態でした。
死ぬ直前まで私と私の娘の心配をしていたじいちゃん。
病室で私が、
「もし私が次結婚するとしたらじいちゃんみたいな人がいいなー。じいちゃん
若いときかっこよかったんだってね、ばあちゃんから聞いたよ。」
と言ったら、
「わしはやめとき。酒飲みで、ろくな事せんよ。おまえはこれからもっといい
男みつけて幸せになるんやぞ。ほんとに心配してるんじゃから。」
と言って、泣いていました。初めて見たじいちゃんの涙。
「色男がだいなしやなー。」と言ってタオルで顔を覆っていました。
それから4日後、じいちゃんは息を引きとりました。
じいちゃんが死んで、私はうまれて初めて息が出来なくなるくらい泣きました。
じいちゃんが死んで遺品の整理をしていると、昔の写真を見つけました。
戦時中、軍服を着てビシッと立っているじいちゃん。ほんまに色男だったんだね。。
じいちゃん、娘に近所の洋品店で買ってくれた服、ださいから。なんて言って
一度も着せてあげなくてごめんね。次もし結婚して子供ができたら着せるからね。
いつでも味方でいてくれてありがとうね。
娘も1歳5ヶ月になったよ。お盆には一緒にお墓参り行くからね。
長文すみませんでした(泣
104 :大人の名無しさん :01/12/06 04:02 ID:z3nX0l6/
学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので
結局日帰りにしてしまった。
母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んで
いると、父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、
一緒に居ると息苦しさを感じていたの私は、父が帰宅する前に帰って
しまいたいというのも、日帰り、ひいては通えない距離の学校を選んだの
理由の一つだった。
父が、「お前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、手に持っていた
ドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。
駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は
待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。
家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。
でも、私が9個貰っても食べきれないよ。
箱の中を覗き込みながら苦笑した。
その直後。
あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。
様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも
切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯して干す前
みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた。
436 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/03/19 10:05 ID:oYtnp9c3
友達から聞いて初めて見させていただきました。
泣いて、泣いてそばで2歳の子供がビックリして不安がってます。
今年の1月に父を亡くしました。
12年間の闘病生活に私達家族、親族は慣れてしまい
父の苦しみもいつものことって感じで接していました。
最後の週は食事もできなくなり
亡くなる3日前に会いにいったときには
もうクダがいっぱいでした。酸素すら吸えなかったのです。
何回も脳梗塞になり言葉もはなせなくなり
でもプライドの高いひとだったので自分でもどかしいのか
やつあたりばかりしていました。
本当に今思うと辛かったんだろうなぁって思います。
でもその亡くなる3日前の時
「○○ちゃん<私の名前>ありがとうな」ってはっきりいったんです。
初めて父の前で泣いてしまいました。
絶対に父が不安がるから泣いてはいけないって思ってたのに・・・。
土曜日の昼間「すぐにいてほしい」と電話があり
徹夜で見守り明け方旅立ちました。
親族が「もう逝かせてやり」って言う中
息を少しずつひきとっていく父に
「吸って!!ゆっくりでいいから息吸って!!」と叫んでいました。
お父さんの子供で幸せでした。
全然優しくしてあげなくってごめんね。
痛みに慣れるってことないのにね・・・。ごめんね。
今でも泣けてきて毎日目が腫れてるよ。
夢でも出てきてくれたらイイのにって思うよ。
「お父さんの人生よかった?」って聞きたいよ。